趣味のこと、幸せのこと

ヤマギシで生まれた発達障害者が幸せについて本気だして考えてみた、というほどでもなく趣味についてやあれやこれや気ままに書くブログ

仕事ができる人になりたかった

久しぶりの更新です。

仕事ができる人、かっこいいですよね。私は生まれてこのかた仕事ができる人間になったことがない、ってくらい仕事ができなくて。

ADHDの特性もあってか人より突出してミスが多いんですよね。

以前働いていた職場で先輩に面と向かって「仕事できないよね」と言われたこともあるし、仕事ができないというのが長年コンプレックスでした(職場でのコミュニケーションがうまくいかないというのも含む)
仕事ができなくて職場が居心地悪い→辞めるを繰り返してきました。

最近になって人の評価は気にしない!無理に「できる人」にならなくっていい、と頭では思っていても、現実にはなんとかできる人になろう、普通の人になろう、と頑張っていました。
仕事ができるようになれば幸せになると思い込んでいたのかな。
自分の自尊心の低さや、不安や、孤独や、苦しさが仕事をできる人になることですべて解決すると思い込んでいたのかな。
バカだね、バカのくせにね(BY中島みゆき

 

そんな私も今までの失敗の積み重ね、アラウンド30年生きてきた経験もあってかようやく「仕事の仕方」というのがつかめるようになってきました。
今の職場で、初めて「できる人」の側に回れました(と思っている)
ミスも目立たないし、求められる水準は全てクリアすることができました(と思っている)
仕事ができなくて怒られたり、落ち込んだりというのが初めてなかったんですよ。
でも、幸せにはなれなかった。
心身ともにかってないくらい消耗しているのが感じられます。
私にとって普通の、できる人になることが自分を押し込めて押し殺して成立するのだとしたらこんなバカなことってない。
人の評価に頼って自分を肯定するから、ころころ変わる人の評価を気にして右往左往するし、自分より若くて可愛い新人が来るだけで崩れ去る不安定な肯定感なんですよ。
精神も不安定になって「死にたい、死のう、死ぬしかない」の死にたい三段活用で、みんな自分を悪く思っている、ダメだと思っているのではないかと猜疑心でメンヘラになりそうですよ。あ、もうメンヘラか。
やってらんねー!
どうせ死ぬなら自分らしく生きられる道を死ぬ気で模索してから死にたいわ。
というわけで今の職場は辞めることにしました。

 

いやほんと、ダメなやつだな、と思うかもしれないですけど、今までの仕事の選び方が間違ってたんじゃないか、と思いますね。

コンビニのアルバイトや飲食店の仕事と、イラストを書いたり音楽を創ったりする仕事ってどっちも「仕事」だけど求められる能力って全然違うやんね?

研究者とか工場で働く人とかも。

自分を殺さず自分らしく生きられる道ってきっとあると思います。

すくなくとも「普通」「仕事できる人」になる、ということに今まで膨大なエネルギーをつぎ込んできたのだから、今度は自分らしく生きるほうにもっとエネルギーを使うことを決意しました。レリゴー、レリゴー